好事家、チャン・チンホイ -15ページ目

関羽様・・・


項羽の話が出たので、関羽の話もしましょう・・・。

"関公翁"・・・関羽の事ですが、京劇業界では敬意を表し"関公"もしくはもっと敬意を込めて"関公翁"と呼びます。

実在の人物で唯一神となった人物とされていますね。
特には東南亜細亜、日本を含む華僑に信仰され、各地に関帝廟が造られてます。
華僑が全面的に撤退した函館にも立派な関帝廟が建ってます。
本来は、関羽の死後祟りを恐れた敵軍が廟を建てることで怒りを納めてもらおう。敬意を示そうということから始まったようです。
そこに生前の逸話と、歴史読み物からのヒーロー性が混ざりあい、神へとなっていったようです。
特に文化大革命の影響の無かった土地では今でもあつく信仰されています。

中国の読み物の中では文武にたけた真の武将、真の男とされてます。
あくまでも京劇は"三国志演儀"を下地に造られてます。
史実を伝える"三国志"では・・・やっぱり人間ですね。

俳優もおいそれと関公を演じられる訳ではありません、京劇の学校でも教える事は絶対にありません。
劇団に入り実績を積み、劇団、業界から認められた俳優がやっと習うことができます。
劇団側が名優を招聘し、若い俳優を指導します。
俳優も関公を演じるにあたり精神を集中して授業に望みます。
古い俳優になりますと、関公を演じる際には必ず関公にお参りをします、関公の名優で知られる方も時間に間に合わず、軽く一礼のお参りだけで舞台に挑みました・・・感じんの出場の見得で転んでしまったそうです。
以降、弟子には厳しく関公に失礼の無いように、楽屋から精神を研ぎ澄ましシッカリとお参りをするように指導するそうです。

関公、今では"武生(武将を演じる立ち役)"が演じる事になっておりますが、役回り的には"紅生"と言われる特別な役回りです。

《覇王別姫》


《覇王別姫》はご存知のとおり悲劇です。
追い詰められた虞姫は覇王項羽の刀で自決、その後に劉邦に追われた項羽も自分の刀で自決・・・。
項羽は瞳が四つあったと言われてます、だから覇王になれたという伝説があるくらいで、神がかった人物だったそうです。
隈取は"泣き顔"といわれる部類で、王にまでなったのに早死にしているので額にも"寿"の字になれなかった文様を描きます。
ことごとく不祝儀な役ですね・・・実はこの芝居を打つと事故があります。
演じた側にはそんなに大きな事故ではありませんが、発注した側に大きな事がぁ~。
ある会社は倒産、公演を仕切った人間は解雇、ある大きな教室は解散、選挙に落選などなど・・・。
一番大きな物は、宣統皇帝即位式三年後に清王朝は崩壊させられました。
小さな事故では公演中に音響機器のトラブル。
関係ないかもしれませんが、映画を造られたチェン・カイコー氏も後の作品で優れた物が造れない・・・?

映画の影響で知名度も人気もありますが、実はリスクのある芝居です、いや本当に!!

中国国内でもこう言った出来事がいくつかありますが、俳優さんはあまり話したがりません。

一つだけアタクシの師匠に聞いたのは・・・
田舎での公演、清朝時代の野外舞台、田舎では京劇はいまだに人気があります。舞台の下はお客さんで一杯。
主役が舞台に上がった後、血相をかいて楽屋に逃げ帰り「今夜の公演は勘弁してくれ!!」とにかくそれだけしか言わないそうです、見るからにタダ事でない様子、急いで芝居を換えて対応したそうです。
宿舎に帰り団長と幹部(当時は共産党幹部が必ず各団に着いて廻ったそうです)がその俳優に訪ねたそうですが青い顔して一言も口を利かないそうです。
その夜はそのまま休む事になったそうです、その俳優と家の師匠は二人部屋で同室・・・彼は寝返りをうち溜息ばかりをつく・・・気になって眠れない家の師匠、半分怒りながら訊いたそうです。
とうとう少しづつ話しだしそうです、前座芝居で割れんばかりの喝采に彼は気合を入れて舞台に上がって行き客席に見得を切ったそすです、すると満杯の客の中に首の無い客やらなんやらあちこちに見えて恐くなって一瞬、舞台上で金縛りにあったそうです。
体が動くようになった時には、楽屋に逃げかえるのがやっとだったそうです。

文化大革命以後、宗教的な伝説も否定されました。
それまでは"項羽"を演じる時には、"関羽"廟に参拝したそうです。
三国志の"関羽"です、中国では"項羽"の首が落ち、後年"関羽"になって生まれ変わったという伝説があるそうです。
昔の俳優はいまでも重要な人物を演じる際には、お参りをするそうです。

オバサン役は・・・


彩旦(オバサン)役はそりゃ受けます、でも京劇の中でオバサン役は実は重要ではありません。
丑角(道化)の中でもランクは一番下のほうです。

面白いオバサンのちょっとした通し狂言は"老旦(老け役)"が担います。

あくまでも脇役です、主役のように観える芝居も多々ありますが、通しで観ていくと・・・
          「あぁ~やっぱ脇役だぁ~」
                      ・・・てな感じ。

面白いんだけどねぇ~やりがいもあるんだけど、やりたがらない人も沢山います。
家のお師匠も大嫌いだって言ってます、でも仕事なんでやらないとダメなんで・・・なんで教えてもらった事はないんスよ。
日本に帰国後需要に応じて研究しました、VTR観たり、先人の本を読んだり。

オバサンを演じられる俳優は、世界各国みないい芝居をする俳優っすね!!

オバサン万歳! 

京劇の台詞・・・


公演が近いんで、いろいろやってる内に・・・二日程っすか間が空きましたが。

京劇の台詞回しは独特で一聴、複雑に感じられるんスけど実はそんな事もなくて方程式があるんスょ。

二文字づつ区切って読むとそれらしいリズムが出来る。
(例外で一文字だけ独立させる時もある、例えば"我"とか…)

後はヨクヨウ、これも台詞、喋る内容で重要な"言葉"を立てればそれなりになるんスょ。
長い歴史を感じ複雑と思われがちだけど実ぁ歴史が長けりゃ長い程、単純に構成されてる処もあるんスょ。

コレ本物の京劇俳優も気付いてない人が多いんスょ、どう教えていいか解らないみたい、うんまぁ~自分達にとっての習慣を客観的に見直して教えるのって容易じゃないっス…。

丑角(道化)の仕事・・・


本来、京劇の前身である"徽劇"は安徽省から始まった芝居です。
なので、台詞まわしはソノ一帯で使われている方言でした。
勿論、北京人がそんな方言を聴いて解るはずもありません・・・そこで丑角が横に立ち、召使や、大臣の一人、酒屋のオヤジを演じながら"北京語"で俳優と客の間を通訳をしていました。
時代が進むとその安徽省の方言も北京人に馴染み、道化の役回りが削られたりもしました・・・。

次に、京劇が全盛期を迎えた頃には、有名な俳優は劇場の掛け持ちです、通しの芝居でも一番の見せ場しか演じません・・・。
芝居は始まってます、もう直ぐお目当ての俳優が出る見せ場が近づいてます。
前の劇場から俳優が来てません、間を埋めなければなりません・・・。
劇団の道化役がチョコチョコと筋だけ話し合い、ブッツケ本番で舞台に出て行き丁々発止とその場で芝居を造っていきます。
アドリブが得意な丑俳優もいればそうでない方もいたそうで、下手な芝居だと舞台に物が飛んできたそうです。
上手い方だと、名優を喰ってしまうくらいだったそうです。

お歳をとられた丑俳優は、そうしたデッチアゲ芝居が大好きです。
丑(道化)芝居大会等があるときには、皆さんこぞって・・・・何の意味もない子供の発想の様な展開のクッダラ無い芝居をやりたがります。
オバサン役・・・と、言ってもお爺さんが演じてるんですが・・・が舞台で衣装を脱いだりします、観客は大拍手で大笑い、大喜びです。
京劇が芸術でなく、娯楽である一場面です。

アタクシが日本語で丑を演じる事に自分自身に納得いかしたのは、出だしに書きました、観客と俳優の通訳・・・と言う事でした。

画像は"彩旦"=オバサン役ってコッテす

今回の公演・・・


今回の公演で演じる京劇《双山下》と言う芝居。
尼さんと小坊主が同時期に寺(別々な)を逃げ出し、"お山"のふもとで出会うと言う、今聞くとなんてこたぁ~ない芝居・・・。
明朝・清朝・民国時代は非っ常にアナキーな芝居で、公演するのもはばかれるモンだったそう、で、オマケに偉く「ピンク」だったそうです。
寺を逃げ出し、オマケにピンク・・・仏教を冒涜・・・一般人の坊さんに対する、ってこれ以上言うとね問題があるんで止めます。

今はすっかり脚本も書き換えられて整理整頓。
健全な芝居になりました。

で、小坊主なんスけど最近では、学校で学生の頃に習うくらいで舞台で演じる人がいなくなってて、もし誰かが演じてもカットして短いバージョンで演じるくらいでス。

そんで今回の《双山下》は長いバージョンで最初から最後まで演じる事になりました。
うぅ~ん、アタクシも13年以上前に習った切り舞台で演じたことがないんで四苦八苦してます。
思い出しても思い出せない・・・突然に思い出したり、間違って思い出してたり、新しくフリを考えたり時間は無いしで頭も体もフル回転っス!!

そんな《双山下》を含めどうぞお楽しみ下さい。
このブログの日記をご覧の方だけに、受付で「チャン・チンホイ」の名前をお出し下さい。
前売り・二千円のところを、千五百円にさせていただきます!!
お友達お誘いの上どうぞお越しくださいませ!!

<京劇研究会『東京的京劇』第15回公演(平成16年度麻布演劇市第121回公演)>  
■「盗仙草」 出演:安藤ふみ/難波直樹ほか   
■「双下山」 出演:チャン・チンホイ/小玉ゆみこ     
■「覇王別姫」出演:富田正久/竹口美鈴ほか
監修:塩沢伴子
指導:塩澤伴子 山田淳子 
翻訳:吉田登志子

●期日 : 2005年3月11日(金)19時
             12日(土)14時・19時
             13日(日)14時(開演30分前に開場)
●入場料: 前売り2000円 / 当日2500円(港区在勤・在住者は無料)
●会場 : 麻布区民センター地下1階ホール
        港区六本木5-16-45 ?03-3583-5487
        (地下鉄日比谷線・大江戸線六本木駅3番出口より徒歩6分)
●チケット取り扱い:
      「チケットぴあ」03-5237-9988(2月18日発売開始)
●問い合わせ:京劇研究会 044-799-5875(塩沢)

画像は、旧《双山下》の化粧。現在のは舞台をご覧くださいな。

京劇の衣装・・・


やっぱり京劇は衣装でしょう、外国人が京劇に魅力を感じ、京劇であると確認する部分は衣装なんだと思うんス。
ここん処の京劇の衣装は、進歩がありません。
型があるんで衣装自体はそんなに換えられませんが、柄っすね。
先人の柄を繰り返し刺繍するだけで、詰まりません。

京劇全盛期の頃はそれはそれは豪華で華美・・・過ぎるところもあったんですが夢があります。
金糸は本当の金を伸ばし糸に絡めて行くってな手の込みよう・・・衣装だって安くありません。
金持ちが贔屓の俳優に衣装を造ってやり、ソレを着せて舞台を演らせる、そんでソレ観て・・・
       「俺がヤッタ衣装だ」
                 ・・・てな自慢。
掛け軸の様な柄だったりしますし、刺繍も細かく絵の様でした。
うんまぁ~昔の京劇は小さな小屋で演じるものだったんで客との郷里も近く細かい刺繍でもよかったんでしょう。
今は劇場も広く、客との距離も離れています刺繍糸も太く荒いです。
んでも限度があるんですよ荒いのにも・・・ちょっと手抜きスギ。
最近ではミシン刺繍の方が綺麗に出来上がります、けどぉ味がありません。

生地もどんどん良いのが無くなって、衣装を造るのにも生地探しが大変です。いい生地で造ると本当に長持ちします、決して安い物ではないんで長い間使いたいスからねぇ。
新しい芝居で役をいただく度に、自分の寸法に合わせた衣装を発注します。
進歩がない柄も、日本画家の"伊東若冲"の本を持ち込み刺繍してもらってます。
生意気言うんじゃないスけど、職人達に新しい柄を発注し進歩させないと、技術にしろ駄目になってく一方っすからねぇ・・・。
ホントウに・・・。

京劇で一番辛い事・・・

京劇で一番辛いことはなんっても、冠などを頭に載せること。
とにかく衣装の中ではかぶり物が一番大変、締め付ける何本もの紐で締め付ける・・・しかも舞踊、立ち回り等、動きが激しい芝居になるとよけいに落ちないようにシッカリ締めるから、慣れないと舞台に立つ前にガンガンしてくる、吐き気ももよおす。

硬いかぶり物になると額が凹む程。
かぶり物は殆どが、後を紐で縛るんですがぁ、紐を縛ばってくれる人間も指が痛くなるほど締め上げる。
特に隈取役は殆ど後頭部だけでかぶるので、かぶり物が落ちないように執拗以上に締め付ける・・・大変(汗)。

そんでまた舞台上でかぶり物を落とすのは役者の末代までの恥と言うほど・・・だった。
かぶり物を落とした場合は、かぶり物を管理する人(かぶせた職人)の責任になる。
頭に巻いている黒紗や布製の羽二重ごとかぶり物を落とした場合は役者=自分の責任になる。
・・・どちらにせよ恥である。

んでも、西暦二千年に御世にいまだこんなかぶり物まま、進歩しない・・・どうにかせねば。

こってるモン・・・


コオロギを飼ってます、この時期に。
先月二週間ほど中国は北京に仕事で行って来まして、テレビ局でさんざなメにあったんで憂さ晴らしに動物市場を覗きに行ったんス。
コオロギ売りの店があったんで話を聞いてる内に面白くなり、中国伝統の飼育道具、容器などを購入して戻ってきました。
コオロギ自体は、外国種を持ち込むと生態系を脅かすってな・・・うんまぁ持ち込み禁止なんで止めにして・・・。

この時期に啼く声を楽しむ、ねぇ、オツなもんでやんしょー。
先日アタイの住んでる東京都下は夜半から雪が降りました、そんでもアタイの枕元ではこおコオロギが「♪チリチリチリチリィ~♪」って囀るんスよ。

飼ってるコオロギの種類は、フタホシコオロギ・・・熱帯魚の餌用コオロギ・・・この時期に手に入るコオロギっちゃ恐らくこの種類なもんなんスかなぁ?
熱帯魚屋さんに行って一匹だけオスを譲ってもらってんス。
シート型の暖房器具の上に飼育ケースを乗っけて保温をキッチリ管理すれば冬でも全然元気です。
ケースの中に水容れもいれてますんで、喉が渇けば飲めますし、容器内には湿度もあるって訳。
餌は中国で買って来た怪しいのをあげてます、よく食べる。たまに果物から糖分なんかも与えてやるとよりいっそうに囀りるんスよ。

どうやら耳から入ってくるモノが好きなアタイは、以前は鳴き鳥なんかも飼ってました。
でも、長い間家を空ける事が増えてくると、面倒みきれない。いちいち地方なんかに連れて行く訳ゃいかない。
ところがコオロギなら小さく、携帯にも便利。どんなに細かくしても面倒に時間もとられない、しっかり管理してやれる・・・おまけに囀るんスよ。

よぉ~がすよぉ~楽しいですよぉ~。

趣味の一つ・・・


収集の一つに"犬張り子"がありまして、現在は・・・12個くらいなんスが数ではないんスよ。直接、職人さんに逢って話を訊いて収集するってんです。
犬(張り子)の顔や柄、色付けも職人によって全然違う、これが面白いし、職人さんもクセのある人ばかりで逢うのも楽しい。

しかし、この犬張り子ってのは関東一帯に伝わるモンらしいスよ、西は名古屋まで、東は埼玉くらいの様子。
埼玉は戦前から職人さんが東京から移り住んだからだそう・・・。

江戸から戦前までは、町内に一人は張り子職人がいてソレを扱う店も必ずあったそう。
後に、戦争が起こり空襲で東京は焼かれ、張り子型も焼かれ転職、隠居する職人が多くでたんだそうで、今は殆ど見られなくなった訳です。

本来は子供の氏神様への初参りに、親戚・知人からお祝いとして"犬張り子"が贈られるようになったそう。
その時には"犬張り子"の尻尾の下、お尻の部分に子供の名前、生年月日を書き込み、背中に「でんでん太鼓」に「笙の笛」、地方によっては「扇子」等を結び付け贈られた。
贈られた"犬張り子"は子供の玩具となります、大小もさまざまで大きい物では子供が跨る事もできる。そうして何ヶ月、何年の時を経て子供の玩具となった"犬張り子"はいつか潰れてしまいます。その時に子供がここまで大きくなったんだと"犬張り子"に感謝をしたんだそうですよ。

「でんでん太鼓」は裏表のない人間に。又は音を出して邪気を祓う意味。
「扇子」は末広がりで長寿を願う意味。多くは真っ直ぐに伸び丈夫な事から麻の紐で結ばれるンですよ。

まだまだありますが・・・後日、興味のある人がいたらまた書く事にしやしょう・・。

画像の"犬張り子"は飯田師の作品