好事家、チャン・チンホイ -16ページ目
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まずは…

喜劇俳優には中学校の頃になりたいと決めました。
20歳の時に芸のこやしに、と京劇を北京に行って二年ほど勉強してきました。
当時は国立でも市立でも京劇学校は留学生を受け入れる態勢が無かったので、俳優に直接弟子入りしました。
授業の内容は、演じ方もですが、芝居の造られ方、演出のしかた、観かた・・・業界の裏話、等など。
中国語は殆ど師匠とのやりとりから覚えました、ので、読み書きは本当に不得意です。
とうじは本当に狭い師匠の家で芝居を勉強してました、芝居が纏まってくると、師匠が出番が有るときは早めに劇場に入り開幕前に本舞台で、立ち位地を兼ねて細かい指導を受けました。
師匠の要求は「中国人と同じ発音で喋り芝居をしろ」でした、台詞一行を三ヶ月、毎日二時間以上繰り返させられました・・・お陰で初舞台は緊張のあまり半分気を失ってましたが、台詞だけは何度も繰り返しているのでドンドン口から出て来ていました。
また、抜き打ちで勝手に舞台に出る約束をしてくる師匠。時間は一週間、所詮は外国語の台詞ですから覚えるのが必死です、焦りばかりで台詞が頭に入らず師匠を悩ませた事もありました。
とにかく中国人はメンツですから師匠の名に傷を付けない様に必死で本番をこなす・・・今思うと本当にありがたいです、普通に留学していたらそんな機会は絶対に無かったでしょう。

こんな留学生活で、二年間足の爪先から頭のてっ辺まで京劇にズッポリうずもれた生活でした。
朝起きたら学校の授業には行かず、師匠の家に向かい芝居の勉強。
夜は劇場で芝居観賞です。
師匠の出番があるときは、舞台裏で衣装師から扱いかた畳みかた、化粧師からもいろいろ教わりました・・・最初は無愛想ですが、基本的には皆さん教え好きで面倒見がとてもいい方ばかりでした。
学校に帰ると、他にも京劇や昆劇を習っている仲間がいました、みんなで集まって駄弁りながら基礎訓練したり、情報の交換をしたり・・・。
そんな留学生活でした。

次は、アタクシが感じた、感じる「京劇と言う芝居」を書いてみたいと思います。

画像は師匠、欒祖迅

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